2012年05月07日
2012年05月06日
2012年05月05日
I'm game!
"I'm game!" 「私はゲーム」?どういう意味でしょうか?
実は、「乗り気だよ」というような意味です。
自分に自信があって、やってやろうじゃないか、という時に使います。
"I'm game. Let's have a match! I played soccer in junior high."
「やろうぜ、試合。オレ中学のときサッカー部だったんだ」のように。
ぜひ使ってみてください。
2012年05月04日
あの子はキツネ
She's a fox.(彼女はキツネだ。)一体どういう意味でしょう。狐目の人といえば、目が細くてつり上がっている顔を想像してしまいますが、
英語でいうこの場合の "fox" は、「セクシーな人」
という意味です。主に女性に対して使われます。
Oh she's a fox! I wish she were my girlfriend! のように。
この "fox" ですが、動詞では「だます、ずるをする」のような意味もあるので使うときには注意してください。
2012年05月03日
早鳥と、夜ふくろう
early bird(早い鳥)、そして night owl(夜ふくろう)。あなたはどちらのタイプですか?
early bird は、早起きの人、朝型の人を意味します。
また night owl は、夜ふかしの人、夜型の人を指すのです。
早朝には小鳥がさえずり、夜が更けるとふくろうが鳴き出しますからね。
なんとも情景が想像しやすい表現です。
"I go to bed very late at night. I'm just a night owl."
2012年05月02日
2012年05月01日
ビンボーな人、スラットした人
今回は趣向を変えて、日本語にも英語にもある発音の単語をご紹介します。まずは「貧乏」。
"bimbo" というと、実は「見た目はいいけど頭の悪い女性」という意味の英語になります。
そして「スラッとした人」のように使う「スラット」。
英語では "slut" で、「ふしだらな、軽い女」という意味になってしまうのです。
海外旅行の際は、ふとした時に口をつく日本語にもご注意あれ。
2012年04月29日
ゴーギャン、ピカソからローランサンまで

絵のセンスが皆無な私ですけれど、見るだけなら文句はないでしょう? と少し肩を怒らせて、市内の美術館へ。
メトロポリタンなどと違って、薄暗いここはなんだか厳粛な雰囲気です。
「静かにしてください傘はもって入らないでください携帯電話を切ってください静かにしてください」
携帯電話を4台も所有している人間としては、酷な作業を強いられたものです。
芸術鑑賞中に仕事をしてはいけないらしい。
「時間を忘れている時が、いちばん時間を大切にしている時だ」というようなTVCMが昔あったのを思い出しました。
確かコーヒーか何かの。
「お疲れさん休憩入って、すぐ戻ります、傘はもって入らないでくださいなにゆっくりしといで、息子さんお元気、ええお陰様で携帯電話は切ってください」
仕事中におしゃべりはOKらしい。
昔からちょっと右脳の弱い私なので、素晴らしい絵画の前に立っても横手にある説明書きにばかり目が行く始末。
「絵描きさんって、すごいな」みたいな感想しか出てこないのが、恥ずかしくてしょうがありません。
ピカソはもちろん絵の「上手な」画家だったけれども、普通に上手い絵なんか書いていてもお金にならないから、
ああいう作風を構築していったというのを聞いたことがあります。
最近はやりの「こびとづかん」もそうなのかどうなのか、私は知りません。
日本人が大好きなフェルメール(展示はありませんでしたが)。
私も大好きですけれど、生前はぱっとせず、極品生活を送っていたとか。
やっぱり絵描きさんって、すごいな。
それぞれの絵にはタイトルがつけられていて、凝ったものもあれば「静物画」のようなものもあります。
ブログやSEOをかじってしまうと、タイトル如何で将来が決まったようなものだと思いがちですが、
やっぱり芸術家は中身で勝負するようで。
私が永井荷風を好きな理由は、実はそういうところにもあるのです。
そんなわけで、今日のタイトルは「ゴーギャン、ピカソからローランサンまで」にしてみました。
2012年04月27日
渋谷109のこと
学生時代、東京に住んでいたとはいえ、沿線の関係で渋谷という街には行きづらく、私は詳しくありません。だから大学を卒業して随分経ってから109というファッションビルに足を運んだのは、懐かしさではなく大人買いを試みるためでした。
今でも東京に出張に出かけると、この建物を覗いてみたくなります。
109で働いている女の子たちは、とにかくすごいです。
大きく高い声で常にセールストークをし、接客中でなくとも笑顔を絶やさず、自慢の洋服を着こなし細い足で立っています。
ディズニーランドのキャストを思わせる仕事ぶりですが、彼女たちにはきっとノルマだってあるのでしょう。
109の主役はきっと彼女たちなのだと思います。
福井のデパートでは出会えないばかりでなく、パルコとももちろん金沢109とも違う強力なエネルギーの渦巻く空間です。
とはいえさすがに最近は入りづらいですけれどね(゜∀。)
2012年04月26日
背景
福井の春は快晴になかなか巡り会えなくて、特にお花見シーズンは曇のお天気ばかり。
そういわれて初めて気がつきました。
空を見上げても今まで違和感はそういえばありませんでした。
着物の柄を思い返してみても、桜吹雪の地が水色なんていうのは見たことがありません。
曇の白色あるいは夜の黒色が本来、淡いピンクには映えるのでしょうね、なんて。
「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂世になにか 久しかるべき」
桜は散るからこそいっそう美しい~という歌がいい残したように、
現代になお愛でられる桜たちはどっと咲いてどっと散ります。
その散り方で人々に選ばれたのがソメイヨシノという品種。
江戸の人たちはなんと粋だったことでしょう。
とはいえ、一瞬だけ若葉の黄緑とピンクが混在する時期があります。
この彩りを善とみるか醜ととるかは今回議論の対象にしないとして、
江戸でいちばんの染井吉野さえ、荒野に裸一貫というのはこたえるのでしょうかね。
特に満開の直後ともあれば。
浮世に生まれてしまった以上、欲望からは久しく逃れられないのですから。
2012年04月25日
海苔と明太子
「おいしい辛子明太子が入ったからもう一口だけごはんどう?」
と勧められて、軽めの白米にたっぷりの明太子、途中からこんなのもあるよと焼き海苔のサービス。
辛味が絶妙で、炊きたてのご飯はそれだけでも美味しくて、それに海苔を合わせたらもう最高なのですけれど、
明太子の大きさとご飯の量と海苔の枚数を計算しながら全部を食べきれるように口に運んでいる私。
本当の美味しさの比率にちゃんとなっているのか、なんだか心配です。
昔、日本史に出てきた「なんとか明太子」。
どうしてクラスメイトたちはちゃんと「みょうたいし」と発音できたのか、不思議でなりません!
2012年04月24日
葉桜の下を
今日は風もなく私は花粉症でもないので、歩いて出勤することにしました。
高校のころはよく、雪が降るとバスが来ませんから徒歩で通うこともしばしばでしたが、
その時の道程などもう覚えていないにもかかわらず、脳裏をよぎるのはシャーベット状の雪をはねられ続けた灰色の通学路。
歩行者という生き物など生息していないといった顔の国道沿いを歩いていると、この街の主権者は自動車なのだと思い知らされます。
悴む手で傘の柄を握りしめながら早く大人になりたいと願ったあの日から私はいったい、何か変わったのでしょうか。
路肩で排気ガスを浴びる今の私もなお、もっと大人にならなければと踏み出される足元をひたすら目で追っていました。
歩行者信号が点滅するたび、待ってる暇なんかないのだと駆け出してしまうのは、まだまだ私が子どもだからでしょうか。
それとも大人って、だいたいこんなものなのでしょうか。
地下鉄生活を4年経験した私の歩みは確かに10年前に比べ格段に速いはずなのですが、
肩にかかる荷物の中身が紙の束からプラスチックの欠片に変わった、ただ理由はそれだけなのかもしれません。
駅前で新刊の小説を購入したらなるほどペースは少し緩みました。
顔を上げると沈丁花の甘い香りが鼻をくすぐり、浜町方面へ。
青信号の間に横断歩道を渡っていれば、左折車も右折車も私のことを待っていてくれることに気が付きます。
もう萼だけになった枝を支える桜の若葉に誘われて、密な街路樹とその根元の草木の匂いを胸いっぱいに吸い込みました。
堤防を仰げば埼玉の自動車教習所を思い出し、河原に視線を落とすと場面は中学校の写生大会で、芝生に屈めば記憶は小学校入学前に遡ります。
回顧という作業はどうしていつも、痛みを伴うのでしょうか。
「懐かしい」という感覚は「悔しい」よりもエネルギーを要する気がします。
そして匂いの記憶が涙腺を刺激するのはいつからだったでしょう。
春の匂い、土の匂い、大好きな人の匂い。
人間の匂いを本人と共有することはたぶんできないから、そして私は嗅覚が優れているから、
きっと人より切ない思いを多くするのだろうと一人感傷的になってみたりして。
首都圏のサラリーマンの通勤時間は平均1時間半。
それと同じ時間を日が昇ってから費やせたこの贅沢に感謝しなければ。
子どもは急ぐ生き物で、大人は焦る生き物で、その日々の中で仕事と称して筆を執れるこのひと時に、心から感謝しなければ。
2012年04月23日
2012年04月22日
過去のこと
ほとんどの日本人は、日本語の文法を習う前に英文法を学習します。
だから私たちは、日本語にも「過去」、「現在」、「未来」の時制があると思いがちです。
いきなり脱線しますが、英語を使うネイティブにとって、未来時制というものはないのではないかと思います。
動詞の変化を見れば明らかです。
通常、動詞の最後に「-ed」を付けると過去形の動詞に変化しますが、このやり方で未来形の動詞を作ることはできません。
もし「is going to」を使えばそれは現在形なのであり、「was going to」なら過去形、
「will」を用いれば、現在形の文にニュアンスを加えるための助動詞を挟んだまでの英語ができます。
では日本語の話に戻りますが、
「ご飯食べた?」と訊かれたとき、「食べてない」という答えをよく用いるのではないでしょうか。
この会話には、実は過去形ではなくて完了形が使われています。
過去形の文にするとこうです。
「ご飯食べた?」、「食べなかった」
日本語でも英語でも、過去形より完了形のほうを頻繁に用いているような気がします。
英語の完了形には現在完了と過去完了がありますが、現在完了というのはもちろん現在時制を使っている文です。
日本語のもとになった中国語を見てみると、これには過去形と呼べるものがありません。
「了」を用いて、完了形を作ってしまいます。
視点は常に現在なのです。
日本語の平安時代あたりの言葉を見てみましょう。
いわゆる「古文」の「古典文法」です。
古文では過去の助動詞に「き」や「けり」があり、完了の助動詞としては「つ」や「ぬ」、「たり」があります。
古文を読んでいると、今私たちが過去形の文だと思いがちなものにもしっかり完了の助動詞がくっついています。
ここでもうひとつ面白いのが、完了の助動詞は「存続」の意味も持っていることがあることです。
「存続」というのは、「-ている」というやつです。
英語でいうところの「現在進行形」のようなものでしょう。
会話を例にとってみると、
「ご飯食べてる?」と訊かれたときそれは、
「Have you finished your lunch?」という意味と、「Are you having lunch now?」という意味、2つが生じてくるということです。
海外から来た人がこれらの時制を使い間違えておかしな日本語を話すことがあります。
外国の言葉なのですから、間違えることは当然あるでしょう。
でも、日本語の文法もよく知らない日本人に日本語を習ってしまったのだとしたら、彼らが可哀想でなりません。
同じように、学習指導要領の範囲内の単語と文法で英語を学習しなければならない日本の中学生には、
早く本当の英語に触れてみて欲しいと願うのみです。
2012年04月21日
2012年04月20日
「おっと!」を英語で
せっかく英語でしゃべっていても、ふとした瞬間に「おっと」なんて日本語が飛び出したら格好悪いですね。「おっと!」は英語で "Ooops!(ウップス)"。
ペンを落とした時などに使います。
ちなみに「うわっ!」、「ゲッ!」、「マジ?」といいたい時は "Ewww(イウゥ)" がおすすめ。
不快な感情を表すことができます。
"Gosh!(ガッシュ)" なら、「しまった!」という驚きと焦りが表現できます。
"Oh my gosh!!" のようにも使ってみてください

2012年04月18日
ハイ・メンテナンスな人
He is so high-maintenance ! 彼って、すごく「ハイ・メンテナンス」なやつだよ・・・。
ハイ・メンテナンスなやつって、一体どういう人なのでしょう?
メンテナンスがすごく必要…つまり、手がかかる人、あるいはわがままな人、という意味です。
好き嫌いが多いとか、準備にすごく時間がかかるとか…。
He's so high-maintenance! めんどくせえやつ! のようなニュアンスでしょうか。
2012年04月14日
終わり
人類が最終的に目指しているのは不老不死だという科学者がいます。そういう側面は少なからず存在すると思います。
でなくても、一秒でも寿命を伸ばすことは、研究に値するはずのテーマです。
本来我々が全力で取り組むべき幸福や平和には、具体的な数値目標を付加できません。
しかし、私たちはいつか死んでしまうとわかっているからこそ頑張って生きていけるのかもしれません。
明日にはテストが終わるから徹夜で試験勉強ができたのであり、
いつかは大人になってしまうからバカみたいにあの頃ふざけられたのであり、
自分のほうが絶対に先に死んでしまうから子どもたちには必ず幸せになってほしいのだと思います。
もしも不老不死の力を手にしてしまったら、その果てなき人生において何を目指せばいいのでしょうか。
無限の生は、絶望の連続になるかもしれません。
人ががんばろうと決意するとき、「終わり」を意識することはごく普通のことだと思います。
それぞれの「終わり」の位置に目標を定め、そこから逆算をし、私たちは惜しみない努力を注ぎます。
有限であることは、実はすごく奥深いことなのだと思います。
「有限」に「幽玄」と当ててみたりして。
「無限」には「夢幻」がしっくりくるような気がして。
2012年04月13日
テレビ
本日、一応のテレビ出演を果たした
私ですが、それをご覧下さった小学校時代の恩師が放送終了後すぐに電話をかけてきてくださいました。
私が小学生のころは「個人情報保護云々」ということばはまだはやらない時代で、
クラスメイトの住所録や緊急連絡網などのプライバシーは常に壁や冷蔵庫の表面に露わにされていました。
今日の夕方、ナンバーディスプレイに表示されたその電話番号が見覚えのある数字の羅列であることを
つまり4年間目にし続けた担任の先生の自宅電話番号であると判断できた自分の記憶力には正直驚きましたが、
それでもすまして「シャインアカデミーでございます」と受話器に向かって応対してしまいました。
あの頃からは時間が経ちすぎていて、当時の関係のまま会話を交わすことはかないませんでしたが、
よく考えてみればもう私もいい年になっているのだし、少しぐらい大人っぽい話題も口にできなければなどと、
短すぎた再会のひと時を、今日が終わるまで反芻していました。
遅くなりましたが、CMをご覧いただき、お問い合わせくださった皆様、ありがとうございました。
もちろん明日以降も、無料で留学カウンセリングをおこなっております。
お気軽にお問い合わせください。
それにしても、決められた時間の中でしゃべるのって難しいですね。
名探偵コナンに登場する本物のJリーガーたちにお気軽なことを思ってしまったこと、深く反省しております


答えは